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大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)92号 判決 1971年8月17日

控訴人 納春吉

被控訴人 関西証券株式会社

商法二六一条の二の一項による代表者代表取締役 清水太七郎

みぎ訴訟代理人弁護士 西尾正次

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、

被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、つぎのとおり追加、変更および削除をするほか、原判決事実欄記載の事実および証拠の摘示と同一であるので、みぎ摘示をここに引用する。

一、被控訴代理人の主張について

(一)  被控訴人は控訴人に対する従来の請求のうち、金二七八、八〇〇円(スタンダード株式二、〇〇〇株の売買によって生じた損害金)およびその遅延損害金の請求について訴を取下げた。

(二)  原判決三枚目表九行目冒頭から同枚目裏六行目末尾までを削除する。

(三)  同枚目裏七行目から一〇行目までに、「すなわち株式買付注文を受ける場合は、受注時において顧客から買付代金および手数料の支払を受けねばならないのに、被告はこれを怠ったこと、万一右前金を受取らなかったときは」とあるのを、「すなわち、被控訴会社のような有価証券業者が顧客から株式の買付注文を受けて、受注時において買付代金および手数料の支払いとして顧客から前払金を受け取らなかったときは、」と変更し、

(四)  同四枚目表五行目から六行目にかけての「第四項の残額二七八、八〇〇円の合計一、二九四、八〇〇円と」の記載を削除する。

二、控訴人の主張について

(一)  原判決五枚目表一行目の「取引をしており、」との記載の次に、「控訴人は当時被控訴会社の店員であった北山勉と広地某の証券売買に関する知識と能力を信頼し、被控訴会社の運営を事実上同人らに任せていたので、同人らから控訴人に対してなんらの警告もないままに、被控訴会社と訴外向田との間の従来の取引方式を踏襲したまでのことで、」と追加し、

(二)  同二行目の「過失はない。」との記載の次に、「控訴人は証券会社の業務についての知識経験に乏しいのに、訴外清水はそのことを知りながら控訴人に被控訴会社の業務の執行を委ねたのであるから、控訴人の業務執行に多少の過誤があっても、控訴人に過失があると言うことはできない」。と追加し、

(三)  同七行目の「抗弁として」との記載の次に、行を変えて、「控訴人は被控訴会社の業務執行を担当した期間中、鋭意、被控訴会社の収益を増加させるべく努力し、従来赤字続きであった被控訴会社の営業収益を一挙に四〇万円の黒字収益に転換したのであって、控訴人が被控訴会社のために善意でした営業活動のうちにたまたま被控訴会社に損失をもたらしたものがあったからと言って、その損失について控訴人が被控訴会社に損害賠償責任を負わねばならないと言うのは筋が通らない。」と追加し、

(四)  同枚目裏二行目の「なさるべきである、」との記載の句点を読点に変え、その次に、「控訴人は、被控訴会社の訴外向田に対する株式売掛代金債権全額について、訴外向田から借用証書を差出させて準消費貸借契約上の債権に更改し、その担保として訴外向田から同人の不動産について抵当権設定を受け、その登記手続も終ったところ、その後、訴外向田から被控訴会社に対してみぎ抵当権設定登記を抹消すれば代償として金二〇万円を支払う旨の提案があったので、控訴人から被控訴会社代表取締役清水に対してみぎ提案を受諾するように勧告したが、清水の承諾を得ることができなかった。したがって、みぎ二〇万円は本件損害額から差し引かれるべきである。」と追加する。

三、証拠関係について≪省略≫

理由

被控訴会社が証券取引所会員の資格を有しない証券会社であって、控訴人が同会社の非常勤のいわゆる平取締役であったこと、被控訴会社の代表取締役二名中、常勤して会社の業務全般を指揮監督していた番所丈吉が昭和三七年一二月三日から会社に出社出来ない事情が生じ、会社の業務を行うことができなくなったので、控訴人が同月五日から会社に常勤し、被控訴会社の事務の処理に当ったことは当事者間に争いがなく、被控訴会社は、従来から取引のあった訴外向田誠一から同月四日にアポロ工業株式会社の株式(以下アポロの株式と言う。)一、〇〇〇株、翌五日に同株式一、〇〇〇株の買注文を受けて、その買付け手続を終ったが、みぎ四日に買付注文のあった分については単価八四七円で、五日に買付注文のあった分については単価八三九円で、それぞれ買付け、みぎ買付けの手数料はいずれも一、〇〇〇株に付き五、〇〇〇円であったので、訴外向田の被控訴会社に対するみぎ買付注文による債務は合計金一六九万六、〇〇〇円であったこと、被控訴会社は、同月一五日前後頃、訴外向田の申出により、同訴外人振出しにかかる(1)金額四九万円、支払人神戸銀行福良支店の小切手一枚、(2)金額四〇円(金額四〇万円の小切手と誤信して受取られたもの)および(3)金額八〇万六、〇〇〇円、支払人はいずれも淡路信用金庫福良支店の小切手各一枚、合計小切手三枚を受領して、前記アポロの株式二、〇〇〇株を同訴外人に引き渡したこと、ならびに、みぎ小切手三通については、(1)の金額四九万円の一通について支払いを受けただけで、他の二通は不渡になったこと、以上の事実は弁論の全趣旨に徴し当事者間に争いがないものと認めることができる。

被控訴会社は、控訴人は、過失によって、前記株式二、〇〇〇株を訴外向田振出しにかかる前記小切手三通と引き換えに同訴外人に引き渡し、同小切手のうち二通が不渡りとなり、後日一九万円の支払いがあったけれども訴外向田は無資力であるために、被控訴会社に対して金一〇一万六、〇〇〇円の損害を被らせたので、被控訴会社に対して同額の損害賠償責任があると主張するので、以下その当否について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、昭和三七年一二月三日被控訴会社の代表取締役の一人である番所丈吉が病気で倒れ、会社の業務を執行することができなくなったので、会社のも一人の代表取締役である清水太七郎の委任によって、控訴人が番所丈吉に代わって被控訴会社の業務を執行することになり(みぎ委任に際し、清水太七郎が控訴人の権限についてなにらかの制限をしたことは認められない。)、同月五日から昭和三八年三月頃まで被控訴会社に常勤し、代表取締役番所丈吉の名義で、事実上もっぱら控訴人が被控訴会社の業務を執行したこと、訴外向田誠一は被控訴会社に対し昭和三七年一一月二七日から同月三〇日までの間に、ミノルタ光学株式会社株式一、〇〇〇株、スタンダード工業株式会社株式(以下スタンダード株式と言う。)一、〇〇〇株、株式会社市川製作所株式四、〇〇〇株の売却方を委託し、同月二九日から同年一二月三日までの間にみぎ売却代金一〇四万一、五〇〇円を受け取ったが、その後、控訴人が被控訴会社に常勤の取締役として出勤を始めた日の前前日に当る同月三日にスタンダード株式二、〇〇〇株、翌四日にアポロ株式一、〇〇〇株、翌五日にアポロ株式一、〇〇〇株の買付けの注文をしたこと、被控訴会社が訴外向田と取引をしたのは前記同年一一月二七日の株式売却方の受託が始めてのことであったので、被控訴会社では、同訴外人の信用状態を調査したことがなく、同訴外人の資産、営業等の状態についての知識は皆無であったが、同訴外人が先に株式の売却委託をしたことから若干の資力はあるものと信じた被控訴会社の係員らは、なんらの保証金の提供も受けないで同訴外人の前記株式買付注文を受け付け、注文に係る株式の買付手続をしたこと、みぎ買付けに係る株式は、同月一〇日にアポロ株式一、〇〇〇株、スタンダード株式二、〇〇〇株が、また同月一二日にアポロ株式一、〇〇〇株が、被控訴会社に到着したので、被控訴会社はその都度直ちに訴外向田に対して株式の引取り方を催促したところ、訴外向田は同月一一日被控訴会社を閉店後に訪れ留守番の者に翌日午後再び来店する旨を告げて立ち去り、且つ翌一二日に電話をもって閉店後に株式受取りのために来店する旨告知したので、控訴人は被控訴会社の店員北山勉に居残り勤務を命じ、自らも閉店後まで被控訴会社店舗に居残り、閉店後来店した訴外向田から同人振出に係る額面金五七万〇、八〇〇円支払人淡路信用金庫福良支店の小切手一通を受取って、スタンダード株式二、〇〇〇株を訴外向田に引き渡し、且つ新に同訴外人からスタンダード株式二、〇〇〇株の買付けの注文を受付け、店員北山勉に命じてこれらの取引を記帳させ、ついで、翌一三日訴外向田から被控訴会社に対し閉店後に株式引取りのために来店する旨の連絡があったので、控訴人は被控訴会社の店員広地某に対し居残り勤務を命じ、自らも店舗に居残って、閉店後に来店した訴外向田から同人振出しに係る前記小切手三通(うち、額面四九万円の一通は同日付であったが、四〇円と八〇万六、〇〇〇円の二通は二日先の一五日付であった。)を受領してアポロ株式二、〇〇〇株を同訴外人に引き渡し、訴外広地に命じてその旨を記帳させたこと、訴外向田は当時営業不振のため資金繰りに困り、手持ちの株式も売り尽したので、先日付の小切手で株式の交付を受け、直ちにみぎ株式を他に売却して営業資金を獲得し、後日資金を調達して小切手を決済する方法によって当面の窮状を一時切り抜けようと企て、前記小切手三通のうち支払人が淡路信用金庫福良支店になっている額面四〇万円(実際には四〇円と誤記されていたが、訴外向田自身も額面四〇万円の小切手を振り出したつもりであったものと認める。)と八〇万六、〇〇〇円の二通の小切手については、同金庫支店にその支払いに当てるべき同訴外人の預金がなく且つ速かにその支払資金を同支店に払込むことができる見込みもなかったにもかかわらず、故意に小切手の日付を二日先の土曜日の同月一五日として振り出し、被控訴会社に交付し、同会社から前記株式の交付を受けたこと、控訴人は当時訴外向田の資産、営業等の状態について全く知識がなかったけれども、証券会社の業務についての知識も経験もほとんど無かったために、顧客の注文により現実の支払いを受けないで株式を買付ける行為と、顧客の振出した小切手の交付を受けると引き換えに顧客に株式を引き渡す行為との間には、証券会社が損失を被る危険の程度に雲泥の相違があることを知らなかった上に、訴外向田が前記のように小切手二通が先日付となっている理由をもっともらしく説明し、且つ前日受け取った訴外向田振出しの額面五七万〇、八〇〇円の小切手が同日支障なく支払いを受けたので、訴外向田に資力があるものと信じて同人の信用調査もしないで、しかも額面四〇万円であるべき小切手が額面四〇円となっていることにも気付かず、前記のように先日付となっているもの二通を含む小切手三通の交付を受けると引き換えに、前記株式二、〇〇〇株を引き渡したこと、被控訴会社の従来からの業務上の慣行として、顧客から株式の買付け注文があると、その顧客が従来からの取引先で或る程度信用できる場合には、代金、保証金、手数料等の現実の支払がなくても、注文にかかる株式の買付手続をしたことがあったが、顧客に対してみぎ買付けた株式を引き渡す場合には、代金相当額の現金の支払がなくては、小切手や手形をもってする支払いがあっても、その小切手や手形が支払を受けられることが確実なものである場合を除いて、株式の引渡しをした事例はなかったこと、翌一四日午前中に被控訴会社に来店した番所丈吉の息子番所孝吉が、前記のように額面四〇万円であるべき小切手が額面四〇円となっているのに気付いて、訴外向田の誠意と資力に疑問を持ち、控訴人に対して直ちに訴外向田方に赴いて株式を取り戻すようにと提案したが、同日額面四九万円の小切手が支障なく支払われたこともあって、みぎ提案は控訴人の容れるところとならなかったこと、翌一五日、同日付になっていた前記小切手二通が不渡りとなったことが、同小切手の支払人淡路信用金庫福良支店から被控訴会社に通知されたので、控訴人と番所孝吉が訴外向田から株式を取り戻すべく南淡町福良の同訴外人方に赴いたが、同訴外人は在宅せず、その行方も不明で、目的を達することができなかったこと、その後、訴外向田から被控訴会社に対し前記株式代金未払債務の弁済として、昭和三八年一月四日に現金一〇万円、同月一二日に神戸銀行洲本支店を通じて九万円の支払いがあり、これを訴外向田に引渡された株式代金の未払残額の弁済に充当すると、残存未払分は金一〇一万六、〇〇〇円となること、訴外向田は現在に至るまで被控訴会社に対し前記未払残債務金一〇一万六、〇〇〇円を支払っておらず、また、今後同訴外人が被控訴会社に対してみぎ債務を多少なりとも弁済する見込みは、同訴外人の現在の経済状態から考えて、全く考えられないこと、なお本件とは無関係の事項であるが、昭和三七年一二月一二日訴外向田が被控訴会社に買付けの注文をしたスタンダード株式二、〇〇〇株は、同月一八日被控訴会社が同訴外人のために買付けたが、訴外向田がその代金を支払わなかったので、同訴外人に引き渡されることなく被控訴会社に留置されていたが、被控訴会社において売却処分に付して、その代金を同訴外人の被控訴会社に対する同株式買付代金債務の弁済に当てることになり、昭和三八年九月三〇日一株に付一三六円二、〇〇〇株分合計二七万二、〇〇〇円で売却し、差し引き金二七万八、八〇〇円の欠損となり、現在も訴外向田の被控訴会社に対する債務として残っていること、以上の事実を認めることができる。

≪証拠省略≫中、北山勉ないし番所孝吉が控訴人に対し、本件アポロ株式二、〇〇〇株が訴外向田に引き渡される以前に、訴外向田の資産や営業状態が悪いので、同訴外人との取引に付いては注意しなければならない旨、ないし、小切手の受領と引き換えに株式を引き渡すのは危険であるからしてはならない旨を警告した旨の供述部分その他前認定と矛盾する供述部分は措信しない。≪証他省略≫中、本件株式を訴外向田に引き渡したのは、被控訴会社の店員北山勉ないし広地某の判断に基づいて同人らの手によってされた旨の供述部分その他前認定に反する供述部分は措信しない。前顕乙第一、二号証は原審証人北山勉の第一回証言によると、控訴人が草稿を作成し、北山勉に清書させ、控訴人が訴外向田その他の者の許に持参して署名捺印を受けたものであることが認められるので、同号証の記載内容中、訴外向田が株式売却を被控訴会社に依頼した当初からもっぱら被控訴会社から株式を詐取する計画の下に行動していた旨の記載部分は措信し難い。そのほか、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、控訴人が、被控訴会社の業務の執行として、前認定の事実関係の下で前認定のような経緯で訴外向田に対してアポロの株式二、〇〇〇株を引渡した行為について、同訴外人の債務不履行による被控訴会社の被った損害の賠償責任を負わねばならないかどうかについて判断する。

一般的に言って、取締役が会社の業務を善良な管理者の注意義務(以下善管義務と言う。)に違反して執行し、会社に対して損害を与えた場合には、会社に対して損害賠償責任を負うことおよび、取締役が法令、定款、会社の業務、取引の慣行等についての無知のために善管義務違反をしたことは取締役の過失責任を免除、軽減するものではないことは疑問の余地のないことであるが、他方において、取締役は、法令、定款等によって禁止された事項は別として、会社の運営や収益の維持、増加のために必要な業務執行行為については、自己の自由な判断に従って行動する権限を、法令、定款、取締役会の決議、商慣習等に基づいて委ねられていて、みぎ必要のためには場合によっては会社に損失をもたらす危険のある投機的行為もすることができるから、取締役が会社の運営または会社の収益の維持、増加のために必要であると信じて特定の業務行為をした場合には、それがその取締役に委ねられた業務執行上の裁量権限を逸脱するものでない限り、たとえ客観的には会社にとって有害な行為で結果として会社の損失を招いたとしても、取締役は自分の権限の範囲に属する正当な業務の執行をしたものとして、その行為について会社に対し債務不履行の責任を負ういわれはない。したがって、取締役が会社の運営上必要なものと信じてした業務行為について会社に対して損害賠償責任を負うのは、商法二六六条一項所定の場合は別として、取締役の業務執行についての裁量権限の範囲を超ゆる行為をした場合に限られるわけである。

そうすると、通常の商品の売買を業とする会社にあっては、取締役が会社の商品を売る場合に、販路を拡張し商機を逸しないためには、取引相手の資産、営業、信用等の状態を調査しないで取引をしたり、手形や小切手の信用調査をしないでこれらと引き換えに相手方に商品を引渡したりすることも、取締役の裁量権限の範囲内にあるから、たとえ取引の相手方の選択や小切手の受領と引き換えに商品を引き渡したことにつき取締役に過失があって、そのために会社が損失を受けても、取締役は会社に対して原則として善管義務違反による責任を負わない。ところが、証券会社の場合には、顧客の委託を受けた証券の所有権は直ちに顧客に帰属するから、信用調査を済ました後でなければ手形や小切手と引き換えに買受けた証券を顧客に引き渡さなかったからと言って、会社も顧客も商機を逸することはない。また信用調査未了の手形や小切手の受領と引き換えに顧客に対して証券を交付するような異例のサービスをして顧客を勧誘することは従来から業界の倫理上好ましからぬこととされている(証券会社の健全性の準則に関する省令一条二号参照。昭和四〇年以来法令をもって禁止されている。)ところであるから、取締役が顧客を集めるためにそのような手段に訴えることは許されない。そうすると、証券会社の場合には、取締役は信用調査の済まない顧客に対し、信用調査の済まない手形や小切手の受領と引き換えに、顧客のために買受けた証券を引き渡すことは、必ずしも取締役の裁量権限の範囲には属すると言うことはできない。

本件の場合について判断するに、記録編綴の被控訴会社の登記簿謄本によって認められる被控訴会社の資本額が五〇〇万円である事実や弁論の全趣旨から知ることのできる当時の被控訴会社の取引規模から考えると、株式の価額が一七〇万円に近い本件アポロ株式二、〇〇〇株の取引は、被控訴会社の取引としては決して軽視することのできない額の取引であるのに、控訴人が信用調査の済んでいない訴外向田に対して、銀行取引時間はもちろん被控訴会社自身の営業時間さえも経過した後に、同訴外人振出に係る信用調査の済んでいない小切手三通、しかもその金額の七割以上を占める二通は先日付の小切手で、且つその一通は額面四〇万円と記載すべきところを四〇円と誤記したものであるのに、このような小切手三通の受領と引き換えに前記アポロ株式二、〇〇〇株を引き渡したのは、たとえ同訴外人から先に受領した小切手やみぎ三通の中の一通が支障なく支払われても、また、訴外向田が欺罔手段を講じて控訴人が錯誤におちいったとしても、原因を別として行為自体が被控訴会社に損失をもたらす危険が極めて大きく、利益をもたらす見込みは極めて少なく、前述したように取締役の業務上の裁量権の正当な行使と言うことはできない場合に当るので、このような行為によって被控訴会社が損害を被った場合には、控訴人は取締役の善管義務に違反する行為によって被控訴会社に損害を与えたものとして、被控訴会社に対して損害賠償義務を負わねばならない。

控訴人は、控訴人が証券会社の業務についての知識、経験がなく、そのために被控訴会社の利益のために善意で前記行為をしたのであるから、控訴人のみぎ行為に故意過失があると言うことはできないと主張するが、取締役は職務に必要な法令、定款を十分に心得てこれを遵守する義務があり(商法二五四条ノ二、二六六条一項参照)、さらに、みぎの義務と同様の趣旨で、自分の会社と同業態の企業一般や自分の会社個有の業務執行上の実務、慣行を心得ておくべき義務があると解するのが相当であるから、たとえ控訴人が証券会社の業務について知識、経験に乏しいために被控訴会社に損失をもたらす危険があることに気付かないで前記の行為をしたとしても、みぎ無知の故に控訴人の過失は否定されず、控訴人は債務不履行の責任を免れることはできない。

控訴人は、被控訴会社に対する控訴人の貢献から考えて、本件行為による控訴人の責任を追求することはできない旨、および、被控訴会社が証券会社の業務についての知識、経験に乏しい控訴人に被控訴会社の業務の執行を委任したのは被控訴会社自身の過失であるから、被控訴会社が控訴人の責任を追求するのは信義則に反する。仮に然らずとするも、過失相殺によって、控訴人の損害賠償責任額を減額すべきであると主張しているが、いずれも独自の見解であるので、採用できない。

控訴人は、被控訴会社は控訴人の努力により訴外向田から金二〇万円の弁済を受けることができるはずであったのに、被控訴会社の怠慢によってみぎ弁済の機会を失したから、控訴人は金二〇万円の限度で本件損害賠償義務を免れる旨を主張するけれども、原、当審における控訴人本人の各尋問の結果によって、訴外向田が被控訴会社に対して現実に金二〇万円の弁済提供をしたことは認められないし、そのほかにはみぎ主張事実を証明する証拠はないので、控訴人のみぎ主張も採用することができない。

そして、控訴人の被控訴会社に対する本件債務不履行により被控訴会社の被った損害の額は、前述の事実関係によると、金一二〇万六、〇〇〇円で、その後一九万円の弁済により金一〇一万六、〇〇〇円となったから、被控訴会社の控訴人に対する金一〇一万六、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状が控訴人に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三八年一〇月一八日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める請求は正当として認容すべきものである。

以上の当裁判所の判断と同旨の原判決は相当で、本件控訴は棄却を免れないので、民訴法三八四条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三上修 裁判官 長瀬清澄 岡部重信)

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